文章を元々書ける人は、ずっと書ける。書けない人でも、続けられる人は不思議と書けるようになってくる。
これは世代を問わない。その時点で書けなくても、続けていくうちに形になってくる。コンスタントに書いている人は必ず形になる。たまに書く人は、ずっとその場に立ち止まっていることが多い。
定期的に書いている人は、ある時突然、書けなくなる。正確には書けるが、最初の頃よりわかりにくくなる。わかりにくい文章は書いてないのと一緒だ。
そういう時、自分が頑張らねば! と思う。
書けなくなる人はたいてい、文章をある程度操れるようになり、欲が出てきた人だ。元々、シンプルな構造の文章だった人が、複雑怪奇でそれでいて魅力的ではない文章になってしまう。
言葉をつないでいく接続の方法を理解したり、使える言葉の数が増えたりするとそうなる。そこに作品性や作家性があるならまだしも、伝わらない文章や伝わりにくい文章にほとんど意味はない。伝えるため、コミュニケーションするために言葉はある。
「できるようになって、伝わらない人になっちゃってます」
と伝えることは多い。映像も文章も、なんのために作っているのか、原点を忘れない人は実力者だと思う。技巧は技巧が見えた時点でさめてしまう。技巧が見えてしまうくらいの技しかないなら、技巧に走らない方が伝わる。
技はたくさん持っていた方が伝わりやすくなる。一方で、ここぞというタイミングで繰り出せなければ、致命傷を負う。波動拳を出すつもりが誤って昇龍拳になるなら、サマーソルトキックの餌食になるのだ。
人の話が素直に聞ける人は、そこから復帰するのも早い印象がある。素直じゃない人は、そこから自ら損をする。
損をしても続けていける人は、いずれ回復する。毎度同じ指摘を受けるのが嫌で続かなくなる人の方が多い。
だから、やりたいなら続けた方がいいと思う。