どうということはない。次に行こう

なに、どうということではないのです。

しばらくそっとしておいたら、いつの間にかmonolithに入れなくなっていました。

ならば、と復旧を試みるのがこれまででしたが、あいにくそこまで頭を悩ませる気力がなくて、ならば最初から。いっそのこと最初からでいいのではないかと。

「次に行こう」

でいいじゃないの、と。

慰労会での言葉

思い返せば、最近そんなことに出くわしました。古巣のメディアグループの終了に伴い、関係者を集めて慰労会をやったときのことです。

「TECHCRUNCH JAPAN」および「エンガジェット日本版」終了のお知らせ
https://www.beboundless.jp/press/corporate-announcement-02-15-2022

150人近い人が集まり、私はその中で司会をやることになりました。イベントの目玉は、歴代の編集長が集まり語る座談会です。

この中で元TechCrunch Japanの西村さんが件の「次に行こう」という話をしていました。とても頭がよくて、でも少し不器用なところがある彼らしい言葉が、なぜか心に残ったのです。

年齢を重ねてきた分だけ過去が蓄積され、その知見を元に動くことが増えています。それはとてもかけがえのない財産ではあるのですが、ともすれば経験が足かせになってしまっていないでしょうか。

少なくとも私はそこに、小さな違和感を感じていました。「次に行こう」でいいんじゃないか。そういう心持ちというか、身軽さを忘れていたことに気づいた気がしました。

思い出の再生産に熱狂はない

ハラハラドキドキで楽しかったあの頃、もう一度あの頃を! といった取り組みを求められることがあります。

それはつまり、そこにかつて熱狂があったことにほかなりません。ありがたいことだけど、しかし思い出の再生産を求められても、その要望には応えたくない。そんな気持ちの自分がいます。

ハラハラとドキドキを心に宿し続けるには、やはり自分にとってそれがやりがいのある挑戦である必要があります。「次に行こう」を携えて、monolithをやっていけたらなと思います。

エディター。 学生時代にソフトバンク(現在のガンホー)で働きはじめ、情報処理や撮影・バイヤーを経験。インプレスに入社し記者・編集者・デスク。外資系メディアグループのAOLオンラインに転じ、Engadget Japaneseに参加。メディアをリブートするためリテンション施策、イベントディレクション、動画事業立ち上げ担当。動画スタートアップのViibarにてbouncyに参加。事業責任者としてbouncyを朝日新聞社に事業譲渡し、現在は朝日新聞社にてbouncyの編集長