動画メディアであるbouncyは、書くことより映像を作ることに長けたビースト(怪物)が多い。それに、まだ大学生のビーストも少なくない。そんなこともあって、動画や記事はできるだけ自分でチェックするようにしている。
記事の校正は、なるべく「なぜこういう修正指示を出すか」を説明するようにしている。先ほど若いビーストに「文章をシンプルに」と口酸っぱく言っていることを問われた。
ヤツへの説明は、自分の整理にもつながった気がする。ここで備忘録として残しておこう。
若きビーストの悩み。
その若いスタッフは、わりと言葉を知っている。おそらく文章に接する機会は多いのだろう。表現を工夫しようとするアトが見える。
けれど、そこに自分は容赦なくメスをいれる。文章の構造を分解して、なるべく簡潔な文章の連続になるよう修正指示をする。文章の構造をシンプルにした方が伝わるよ、とアドバイスして返した。
それをヤツなりに分析したようだ。どうも、気合が入るほどに文章が複雑化するらしい。熱が入るとそうなる。自分だってそうだ。気持ちはとてもよくわかる。
「シンプルな文章は修飾語が少なく、文字数が少ないものですか?」
ヤツなりに改善しようと具体的に聞いてきた。文章が好きなヤツからすれば、文章量は少ないより多い方がいい、ということらしい。正解は1つではないが、今回は以下のように答えた。※加筆修正済み
とにかく例えのクセがつよい。
修飾する言葉はあっても大丈夫だよ。一般に単純な文章構造で、主語はなるべく修飾しない方が理解しやすい文章と言われる。加えて、1文をなるべく一息で言えるくらいの量にとどめることかな。
たとえばさ、
コロナで暮らしに大きな変化が起きている昨今、豊かな自然と数多くの名湯を抱える長野県の実家から単身東京に戻ってきたbouncyのビーストさんは、自室の冷蔵庫にいれたままで数カ月ぶりの再会を果たしたタクアンを発見し、そこから芽吹いた新しい生命の息吹にたくましさを感じつつも、自ら選択した数カ月前の「残す」という行動を後悔して、カビたタクアンを真新しいゴミ袋に処分しながら「そういえばタクアンを考案した沢庵和尚は江戸期の臨済宗のお坊さんだし臨済宗は中国から渡ってきた禅宗だから、まさか沢庵和尚のタクアンがその後、台湾や中国、韓国にまで伝わるとは思ってもみなかっただろうな」と考え、さてゴミ収集の日はいつだったかな? と確認したのだった。
とかだと読みにくいじゃん?
紙の文章だと、これを作家のオリジナリティとして読み解く向きもある。Webもそうなっていく可能性は充分にある。極端だがw
その場合、文体自体が美的な作品であり、作り手のアウラを放つものと言える。
伝える、伝わる。
一方で僕らのようなメディアがやっていることは、情報を伝えることが一義的な目的となる。
【伝える】というと一方通行に見えるけど、【伝える】は【伝わる】がセットになって意味を成している。つまり、より相手に伝わる方法を考える必要があるってこと。
より伝わりやすくするためには、文章構造を読み手が考える必要がない、単純化がとても大切になる。文章は作品にもなりうるけど、そもそもはコミュニケーションの手段。プロトコルを合わせること。要するに、相手と足並みをそろえる必要がある。
子供と話す時、英語で話す時を想像すると、自然と構造を単純化していることに気づくと思う。伝わることを優先して、相手にあわせて言葉を選んでいるってことよね?
これが情報を伝える人のやっていること。だから優秀な書き手は、紙やWeb、記事やコラム、小説で表現を変えている。最終的には書き分けられると素晴らしいんじゃないかな。
シンプルに試行錯誤して欲しい。
大体こんな感じのことを伝えた。メディアが伝えるからには、伝わる文章の方がいい。そういう単純なことを言ったつもりだ。
なお、伝わるなら複雑でもいい。複雑な文章は伝わりにくく、読み手にとって重たいことが多い。それだけだ。そうじゃない複雑さを探してみるのもいい。複雑がダメと言い切れるものでもない。
試行錯誤を繰り返し、若いビーストがさらに手ごわい怪物になるといいな。おじさんはそう思って種をまいて水をやったつもりだ。
おまけ
最後に勉強になる書籍について聞かれた。勉強になるかは知らないが、池上さんのこの本の考え方は参考なると思っている。子供に時事を伝える仕事をしていた人なので、リアルだ。