それなりに経験のある書き手が残念な原稿を渡してきたので、表題の通りのことを伝えた。書き手に何年かに一度、同じようなことを伝える気がする。
書く仕事ははっきり言って誰でもできる。日本は識字率も高く、環境的にも技術的にも言葉を残しやすい。
誰でも書ける世の中では、書けることは大してお金にならない。フリーランスであってもどこか組織に所属するか、特別な知識やスキルを持つか、別に収入や資産がある人が書く仕事をやる。このほかに、副収入を得るために書く仕事に就いている人もいる。
noteがそうであるように、面白い書き手も発掘されやすい。面白さを売りにする書き手はかなりひと握りだが、それだけが価値ではない。
- 共感されやすい書き手
- 情報感覚に優れた書き手
- 事情通で業界に詳しい書き手
- 理論的な書き手
- 感情的な書き手
- 複雑なことを平易に説明できる書き手
- 写真のうまい書き手
- なんでもそつなくこなす書き手
- 締切を守り赤字の少ない編集者が楽できる書き手
- 企画力に優れた書き手
- 段取り力に優れた書き手、
- そばにいてお願いしやすい書き手
- ギャラのやすい書き手
- 顔がいい書き手
とまぁ色々だ。これを読んでいる方の中にもいずれかにあてはまる人がいるかもしれない。
編集者はその時々において、ベストもしくはベターな書き手に依頼する。基本的には計算できる書き手に依頼することが多い。仕上がり状態が読めると、並行してほかの仕事ができるので、とても助かるw
どんな書き手においても、素人の感覚を持ちながらプロの知識や知見を使って書く。あえて素人の書き手を使う場合は、編集側がプロの知識や知見を使う役割を担う。
一般コンシューマー相手の商売は、たいていの場合、素人感覚とプロフェッショナルスキルのバランスをとりながら仕事をする。普段意識していない書き手でもそれを自然とやっている。
時折、それが自然とできなくなる人がいる。基本的なことをすっ飛ばして自分の目線でしか語れなくなるのだ。
お客さんが見えなくなるのか、お客さんを自分と同質化してしまうのかはわからないが、自分の中に他人を飼えなくなる。
なお、自分の目線で語れることは大事だ。ただし、読んでいる相手が自分だけでない場合、伝えねばならない情報がある。
なぜなら、読み手が自分ではない他人だからだ。自分だけが読み手ならば、前提情報は知っていることになるので説明は不要だ。
また、ファンクラブ向けのコンテンツなら、あえて基本情報を伝えずに、身内感を演出することもある。これもプロフェッショナルの知識や知見を使ったコンテンツの演出だと思う。
自分は編集者だから、書き手にとって最初の読者でもある。
だから、厳しいことも言わねばならないときがある。情報という商品を提供しているので、商品レベルになっていないものは店頭には並べない。お客相手の商売だから当然だ。
本来できていた書き手には奮起を期待する。我々の仕事は素人感覚で、プロの知識と知見を活かす仕事だ。おそらくこの先もずっとそれは変わらない。