カレーライス(仮)03

 正直、あまり悩んだことがない。子どもの頃から大きな夢を見たこともなくて、どちらかと言えばノンビリ屋と言われることが多い。気心の知れた友達からは「ノンビリ」ではなく、ボンヤリと言われたし、学生時代の先輩には愛情を込めてノロマツと呼ぶ人もいた。

 小学5年の時に少年野球チームに入ったのも、同級生のお母さん経由で誘われたのがきっかけ。それまで野球が好きだったわけじゃない。

 それでも野球はずっと続いた。中学と高校の六年間、そして大学に入っても野球は続けた。働き初めて少し落ち着いてくると、先輩の誘いで週末は子ども達の野球のコーチをやるようになった。

 ひと月に一度は学生時代の仲間と草野球もやる。野球終わりの反省会(という名前の飲み会)のビールはとにかくうまい。大ジョッキをのどを鳴らしながら半分飲み干し、ぶはっと息を吐く。

その後は昔話やら、今のプロ野球や大学野球、高校野球の話。あの頃の先輩は今でも先輩で、あの頃の後輩は今でも後輩のまま年を重ねている。

 といっても学生時代、とくに華々しい活躍はしていない。地区予選敗退の常連校だったので甲子園もプロも目指したことはない。守備はサードか外野、打順は5番か6番、一応レギュラーだった。

遠くに飛ばすほどの力はなかったが、大学の近くにあったバッティングセンターでは「今月のホームラン王」になったことがある。1カ月間、バッティングセンター脇に貼り出される自分の名前が恥ずかしかった。プロも甲子園も目指したことはなかったが、それでも長いこと野球を続けていたから素人扱いを受けた気がした。

 学生時代は地元のスーパーでバイトをしていた。見た目がとてもノンビリしているように見られる(実際そうかもしれない)せいか、茶化されることも多かったがパートのおばちゃんにはかわいがられた方だと思う。

 はっきりと就きたい職業がなく、なんとなく勝手を知っているということもあって、就職活動も小売業を中心に行って運良く小売り流通大手に採用が決まった。

何度か面接に挑んで感じたが、ずいぶん長く野球をやっているというだけでマジメな性格に思われた。面接官はたいてい男性だったから、野球について詳しく聞いてくることもあった。

 それから数年、29才の誕生日を目前にしてエリアマネージャー抜擢された。(更新中)

メディアの編集長と事業責任者と、会社の広報を兼務している老害