メディアを生きる、戦略的じゃないマン

「メディア戦略をうかがいたい。」

そんな依頼があって困ってしまいました。なぜなら、

そんなんじゃないからです。

戦略とは、賢い方たちが互いの知と智を競い合うように語りあえばよいもの。そんな風に考えています。自分は戦略というものにトンと縁がありません。これがもう全く縁がないのです。

謙遜でもなんでもないこと

自分の武器は、好奇心が強く、賢くないことにあります。賢くないから、まずやってみてから考えようとします。成功の確率を上げたり、効率性を高めたりするのは、それからでいいじゃないかと。

成功しても失敗しても、やってみたことで経験が手に入ります。やりきるまで続ければ、賢くなくても経験が手に入ります。

そんな経験を増やしていけば、賢い人たちの中にあっても、そこそこいける。むしろ、頭でっかちな賢い人たちだらけだったら、逆にオリジナルなポジションを築けるんじゃないかとさえ思います。

生き残りゲーム

もっとも、賢い人たちがどんどんチャレンジしていく世界線においては、自分は生き残れないでしょう。

しかし、幸か不幸か20年メディアを続けられています。少なくともメディアの世界は、賢い人たちがどんどんチャレンジしていく世界線ではないのだと思います。

臆病風

年齢なのか、それとも柄じゃないのに編集長を名乗ってしまっているからなのか。時折、臆病な気持ちが顔をのぞかせ、身がすくむことがあります。すごくダサいのですが、責任を過剰に感じてしまったり、失敗がとても怖くなったりするんです。

思い悩んでオエッ! と気持ち悪くなります。オエッ! となれば涙目にもなります。

でも、そこではたと、臆病風で身体が小さくなっていることに気づきます。

自分は小さくちぢこまってうまいことできるほど、賢くありません。技と言えるような卓越したスキルも持ち合わせていません。ただ前に進む、歩兵です。前に進めない歩兵は、撃たれるのを待つ壁です。

たとえ歩兵であっても、前進できる主体性は持っていたいと思っています。

「高尚ぶってびびってんじゃねぇ! しくじったところでどうせお前だろ? 」

ずっとそう思っています。

つまり、どうせ俺なので、そんな自分と折り合いをつけつつ、生き様なのか死に様なのかわかりませんが、戦略性のない人生を生きています。戦略は賢い人へどうぞ!

メディアの編集長と事業責任者と、会社の広報を兼務している老害