地獄に堕ちた野郎ども
本当はどこでもよかった。たまたま就職先が「お国」だったもんだから、安定収入の官僚殿なんて冷やかされるが、この国の就業労働人口の約半分は国の関連機関で働いているんだ。とくにほめられたことじゃない。
それでも、おふくろは喜んでくれた。なにしろ流しの運び屋だったオヤジが事故で倒れてからこっち、家族は社会保障で食いつないでいるような状態なんだ。にも関わらず「一粒ダネ」の息子は高等教育を早々にドロップアウト。クライムレースにうつつを抜かした。そりゃあ、たまらなかったろう。
参戦していたのは闇レース、実力次第で稼げる。売り出し中の若手ということで、実のところ俺もそこそこ収入があった。
しかし、どこで漏れたか裏稼業。定石通りの人気になれば一斉摘発。期待した食い扶持は一瞬でお取りつぶし。その上、俺自身は半年間の奉仕労働をくらってしまった。
オヤジの看病に、息子の逮捕、気丈なおふくろがカラダを悪くしたのは、そりゃ間違いなく俺のせいだ。
地獄垂れたクモの糸
言うまでもなく、捕まらないに越したことはない。
ただ、あの時捕まったことで、俺は班長に会った。それがなければ間違いなく今の俺はない。巡り合わせとはいえ、不思議なものだ。
森の小国
そびえ立つ山々に囲まれた我が小国は、生い茂る木々の間に人が寄り集まるようにして暮らしている。
集落の多くは谷間にあり、環境的に人が暮らせる場所が制限されている。高名な学者の話じゃ、山の1つや2つ更地にでもしない限り、人口が爆発的に増えることはないらしい。
まあその分、山がある。この国の産業が昔も今も変わらず林業中心なのは、これはやはり環境に依るところが大きい。
山は管轄するエリア毎に8つに分けて管理されている。それらを管理するのは8つの公社。公社は各々、独立して採算を得ている形だ。
噂じゃ一部を協力してやっているらしいが、独自に製材ラインや流通網、カルテルを持つ。基本的に公社は互いに交わらない。
公社は林業を母体とする、企業グループとして国の産業を牽引し、加工された木材は、公社の関連企業から近隣諸国へと直接輸出されている。
サンビカでの奉仕労働
違法なクライムレースで捕まった俺は、奉仕労働の役務を課せられた。肩書きは「製材助手」というもの。その肩書きで奉仕労働を務めなければ、罪は水に流せない。まったく、レースで捕まるなんてついてない。
ちなみに、製材助手の書面上の肩書きは「環境対策省山林環境局資源整備課第5区係製材ライン助手」と、なんとも長い。そのためか、山林環境局の資源整備課は「サンビカ」と呼ばれていた。
山から切り出され製材所に運び込まれた木々は、そこで規格化された木材に加工される。加工後の木材は他国へ陸路を通じて輸出されていく。
輸出できる木材は各公社が独占的に供給権を得ており、他の公社と利益を奪い合うことなく、それぞれの縄張りの中でシノギを削っている。
売れる商品、つまり、使い出のある木材を作るには、太陽の光を効率よく吸収させねばならない。うっそうとしげる木々を間引いてやって、より大きく、より早く成長させる必要がある。
そのために切り倒す中小の木々を間伐材が呼ばれる。間伐材は、サイズを規格化しにくいため、輸出したところで儲けにならない。このため、公社の連中は間伐材をゴミと呼んでいた。
ゴミ拾い
儲けの出ない間伐材は、国が買い上げていて、買い上げられた木材は、もっぱら国内向けに投入される。製造ロスを最小限に抑え、雇用創出と安定的な労働環境を用意する、という政治色の強い施策だが、一応はこれで機能しているらしい。
サンビカでは、この間伐材を管理し、木材化する役目を担っている。しかし実際は、公社側が伐採計画を立て、伐採した木々を拾い集めるのがサンビカの主たる仕事だった。
だから、公社の連中はサンビカを「ゴミ拾い」と呼んだりもする。規模こそ公社におよばないものの、サンビカは国が直轄する組織だ。
ゴミ拾い屋に奉仕しなけりゃならない俺はいったいなんだ? 公社の事業を活性化させていくには、必要な組織ではあるがあまり気分はよくない。
ハードワーク
さすがの奉仕労働と言うべきか。製材助手の“お役目”はかなりのハードワークが求められた。捕まったのだから贅沢を言える立場ではないが、こなさなければならない仕事量は多かった。
サンビカは、国の機関であるがゆえに、少ない予算の中でやりくりしなければならない。目下のところ、人手不足が最大の課題。そのため、多くの悪ガキたちをそこで奉仕にあたらせる必要があった。その一人が俺、というわけ。
資金を投じて回収できるような事業ならば、公社が放っておくはずがない。国が直轄する、つまりそれは利益を生まない事業に等しかった。
サンビカは公社の下請けとしてこき使われるが、少なくとも国家権力に利益が集中するよりは公社の方がまし、という理屈のようだ。その方が金回りもいいらしい。
製材助手という肩書きだが、はっきり言ってしまえば助手ではない。毎日山をはいずりまわり、公社の人間がゴミと呼ぶ間伐材を拾い集める。
仕事はそれだけでなく、製材所で間伐材をラインにのせるまでの作業をほぼ1人でこなさなければならなかった。これが実にきつい。日が傾きかけてからの単純作業は集中力がなかなか持続しない。
あたえられたノルマは決して優しいものではない。奉仕活動の当初はサンビカの担当者が目をかけてくれるものの、それも最初だけで、彼らも作業に追われていた。公社の計画担当者はほとんど顔を見せることはなかった。
労働のよろこび
奉仕労働という性格上、本来は正規スタッフとの共同作業になるらしい。ノルマ達成に向けて切磋琢磨し、やがて若者は「労働の喜び」を経験して社会復帰するのだ。もっとも、「本来は」である。
なにしろサンビカは人手不足だったから、奉仕労働のノルマがこなせなければ、仕事はどんどんたまっていく。たまっていけば、いつまでも奉仕の期間が続く。
規定通りに進めば、俺の奉仕労働の期間はおよそ8カ月だった。その間、同じく悪ガキとして捕まった連中は、身体を壊したり山から逃げたりと、次々に姿を消していった。
身体を壊したところで奉仕労働は免れられない。完治次第、再び労働が待っていて、身体的なものよりも、精神的にやられていく奴らも少なくなかった。
そりゃ逃げる
しかし、悪ガキの中でも、公社のお偉方の息子たちは、お抱えの医者に「要・長期療養」のお墨付きをもらうことで難を逃れていた。
その間に公社で「奉仕労働相当」の役務を負ったことにして、逃げる算段をつけると聞いた。
山をおりて奉仕労働自体から直接逃げ出す奴らもいた。だが、彼らはふたたび裏の稼業に堕ちるか、それこそ一か八かの国外逃亡に出るしかない。
そうした一部が山賊化して、いくつかある公社の輸出ルートを襲撃するなんて話もある。
おふくろ、ゴメン
倒れたおふくろの手前、俺はサンビカから逃げるわけにはいかなかった。闇レースで得た金はごっそり税金として奪われ、すでに高等教育もあきらめていた。
今さらおふくろに会わす顔なんてなかったが、わずかだが奉仕労働でも賃金が得られる。それを送り続けることにした。
もっとも、おふくろはそれを一度も受け取ることはなく、返事の手紙とともに決まって送り返されてきた。
奉仕労働は厳しかったが、クライムレースでならした身体は簡単に悲鳴を上げるほどやわではなかった。闇レースとはいえ、本気で取り組んでいたんだ。
それに、奉仕労働者には、期間満了時に国が仕事を斡旋してくれる可能性が残っていた。