machines with teddy bears in an arcade

お金に換えているか? 自問自答の日々

願えば誰もが作り手

いろいろなツールを誰もが使えるようになって、人口における制作力は格段に上がっている。CGMなんて言葉はいまさら誰も使わない。

記事であれイラストであれ動画であれ、いまや誰でも作れる時代だ。別に特別なことではなくて、近所に数人いるくらいの特別さでしかない。

この状況はとても素晴らしいことだと思う。創作によってあらゆる人の人生が豊かになることを歓迎したい。誰もが豊かさを享受できうる時代なのだ。

作るを仕事として考える

ビジネスとして考えると、参入障壁が低く、新規参入が今後も増える市場性もある。ただ、需給のバランスは、需要過多の領域と供給過多の領域が見えてはいる。

制作して対価をもらう仕事ならば、需要過多の領域でどんどん仕事をこなす方がいいはずだ。制作できうる人材が増えている今、制作単価は下がる傾向にあるものの、領域が絞れていれば仕事になる。

燃料の話

メディアの仕事はいわゆる制作ではない。制作するスタッフと読者視聴者とともに、志向する方角に一緒に船出する感覚に近い。なんだかONE PIECEみたいな話になっているが、冒険でありサバイブである点は同じだ。

船を出すには燃料が必要で、燃料を稼ぐ算段が必要だ。船旅を現金化できないならば、それはメディアとして立ちゆかなくなる。だから、このお金に換える、というところがとても大切になる。

船旅を現金化できずとも、ほかで資金を得てオウンドメディアをやることもできる。資本の元次第でオウンドメディアでも十分に楽しい航海になるはずだ。

旅を続ける

メディアをやっている人間は、とかく船旅が好きなやつが多い。自身の船旅が価値があるものだと、根拠なく思える鈍さをたずさえて船出する。もちろん、価値あるものを提供できる人たちもいる。鈍さは自信に変換されるので必要だ。

だが、鈍いだけではいつか燃料が尽きる。価値あると思えていたものが幻だったとそこで気づく。

そうであってはならない。この船旅を終わらせない。そのためにできることはなんだろうか? 自分もそうだし、そう思えるクルーをどこまで増やせるかで勝負が分かれる。そう感じている。

いつか旅は終わる。いつかは終わる船旅だ。途中で乗り込む人もいれば、途中で下りる人もいる。そういうものだ。

それでも旅を続けよう。その言葉を言えるように、クリエイティブをお金に換えられているのか? 自問自答は続く。

メディアの編集長と事業責任者と、会社の広報を兼務している老害

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