メディアは哀しい私刑装置

メディアというものは、ワクワクする刺激があって、みんなの楽しみを作ったり、みんなが知らない役立つ情報を届けたりする仕事。

ずっとそう思っていて、そこに誇りを感じてやっている。みんなに喜んでもらいたい、そればかり考える仕事でもある。

だけどなんだか、残念に感じることばかりだ。

本当によく知らんけど、醜聞てそんなにみんな楽しみたいんだろか? 自分は必要としていないので、記事は読んでいない。読んでいなくともダウンタウンの松本さんがやり玉にあげられていることは知っている。それくらい、たくさんの記事で溢れている。

サッカー選手の伊東純也も、アジアカップの開催中にチーム離脱を余儀なくされた。チームのキーパーソンだけに影響は大きい。

みんながまるで当事者の一人であるかのようにSNSで何か考えを示す。なんだコレは? 本当に楽しいのかそれは?

メディアは世の中のあわせ鏡の存在だ。きっと、醜聞ブームも世の求めに応じたものだと思う。だけど、私刑装置のようなメディアの状況に哀しいしかない。

話題のYouTuberもそうなんだけど、メディアも同様に、哀しい私刑装置になっている。私刑装置は不幸の拡大と不幸の量産しか創造しないんじゃないだろうか。

世の中がどんどんつまらなくなってしまう気がして、なんだか哀しい。

メディアの編集長と事業責任者と、会社の広報を兼務している老害