連日のロシアのウクライナ侵攻のニュースに、気持ちのコントロールが厄介だと感じる。情報との距離感に気をつけねば滅入ってしまう。
戦争はどちらが先に手を出そうと、もっとも弱い立場の人から影響を受けていく。命を落とすのも、築いてきた生活が吹き飛ぶのも、まず互いの弱い立場の人たちからそうなっていく。
政治において戦争は手段の1つではある。20世紀はそうして機能してきた。ロシアのプーチンは、ユダヤ人の大統領が率いるウクライナを「ネオナチ」の政権だとして戦争を仕掛けた。
21世紀は、世界がネットワークでつながり、互いに協調しあうことで成り立っている。ネットワークの外の世界がその協調を揺さぶるべく仕掛けてきた戦争ならいざ知らず、ロシアは協調の一端を担っていた。
今の世界において、人の暮らしを支えているのはバランスだ。クレカが普及し、QRコード決済が世界で広がっているのも、互いの信用によって決済できる一定の均衡が保たれているからだ。
その均衡は政治家の決断によって崩れた。ウクライナには今も戦火が上がっており、戦闘員でない人も命を落としている。ロシアではクレカやQRコードで決済できず、ドルなどの外貨も使えなくなった。マクドナルドやユニクロが消えて、カスペルスキーはグローバルでの立場を危うくしている。
政治家を決める手段である、選挙の大切さをあらためて感じる。政治家の決断により、自分の暮らしが脅かされる点は日本だって変わらないから。